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          旧日野上小学校のピアノ・フッぺル


                                     日南町霞  三 森 不 二 夫


 このピアノは旧日野上小学校の『フッぺル』というドイツ製のピアノです。
今から八〇年前、昭和四年に日野上小学校に入りました。ドイツから、日本に、そして日野上村の大正尋常高等小学校、今の日野上小学校に来ました。

当時小学校では、昭和三年に正面に立派な二階建の校舎が建築されました。建築総工費が十五、二四〇円でした。ピアノの値段は約四、〇〇〇円。当時家一軒が五〇〇円もあれば新築出来ました。大変高価なピアノでした。
このピアノで音楽の授業を受けて卒業し、出征し、戦死した卒業生は七三人。みんな若い、青年でした。一五歳で戦死した少年兵もいました。卒業生だけではなく、先生もまた戦死しました。
このフッぺルピアノには、青年教師の悲しくも辛い話が残っています。

昭和一九年五月一五日、日野上国民学校の青年教師『梅林彊輔先生』は海軍に出征される事になりました。出征に当たってその思いを六節の詩に纏められました。それが《感激の征途》という詩です。その詩に同僚の青年教師、音楽の田邊重雄先生が曲をつけられ、二人は音楽室でこのフッペルピアノで歌われました。二人だけの壮行会でした。そして広島県の大竹海兵団に入団。梅林先生は戦艦大和の乗組員でした。昭和二〇年四月七日、戦艦大和は海軍の特攻部隊として出陣し、東シナ海で敵の猛攻撃を受け、三、三三二名の乗組員を乗せたまま沈み、梅林先生も戦死されました。

フッペルピアノは日本に三台しかありません。佐賀県鳥栖小学校のフッペルピアノにも悲しい戦争との関わりの話があります。それは「月光の夏」と言う映画にもなりました。昭和二〇年五月末、二人の特攻隊員が飛行機で特攻出撃する前の日に、鳥栖国民学校のフッペルピアノで今生の名残にベートーベンの《月光》の曲を弾き、出撃し戦死しました。またもう一台は鹿児島県の知覧特攻平和会館に展示してあります。
このようにフッペルピアノは、場所こそ違え戦争に纏わる悲しい辛いエピソードを持っています。

 日野上小学校のフッペルピアノは、篤志家の寄付によるものでした。

寄付されたのは、当時の日野上村矢戸出身で、大阪で産婦人科の病院を経営しておられた、『田中正慶医師』でした。大変高額なピアノを、母校の校舎新築記念として、匿名で寄付されたようです。ご子息の「田中欽弥医師」及び霞出身の「西田節子(旧姓七瀬)助産婦」の証言で確認出来ました。こんな高価なピアノを寄付された田中正慶先生の、母校を思われる崇高なお気持ちには唯々頭の下がる思いです。
田中正慶先生は昭和二五年に大阪で亡くなられました。墓地は先生のふるさと矢戸(日南町)にあります。

 日野上フッペルは八〇歳です。日本に来たフッペルは、「戦争と平和」の中で多くの子供達と関わり、「日野上教育」にあたりました。これからも「日本の平和を考えるピアノ」として、何時迄も働いて欲しいものです。日野上小学校は無くなっても日南町の宝としての存在ですから・・・。

                         平成二十一年四月  記