日南町総合文化センター

休館日は 月曜日・祝祭日・年末年始・その他メンテナンス等で臨時休館する場合が有ります。

旧日野上小学校のピアノ・フッペル

旧日野上小学校のピアノ・フッペル
このピアノは旧日野上小学校の『フッペル』というドイツ製のピアノです。今から94年前、昭和4年に日野上小学校に入りました。ドイツから、日本に、そして日野上村の大正尋常高等小学校、今の日野上小学校に来ました。
当時小学校では、昭和3年に正面に立派な2階建の校舎が建築されました。建築総工費が 15,240円でした。ピアノの値段は約 4,000円。当時家一軒が500円もあれば新築出来ました。 大変高価なピアノでした。このピアノで音楽の授業を受けて卒業し、出征し、戦死した卒業生は73人。みんな若い、青年でした。15歳で戦死した少年兵もいました。卒業生だけではなく、先生もま た戦死しました。このフッペルピアノには、青年教師の悲しくも辛い話が残っています。 昭和19年 5月15日、日野上国民学校の青年教師『梅林彊輔先生』 は海軍に出征される事になりました。 出征に当たってその思いを六節の詩に纏められました。 それが《感激の征途》という詩です。その詩に同僚の青年教師、音楽の田邊重雄先生が曲をつけられ、2人は音楽室でこのフッペルピアノで歌われました。2人だけの壮行会でした。そして広島県の大竹海兵団に入団。梅林先生は戦艦大和の乗組員でした。昭和20年4月7日、戦艦大和は海軍の特攻部隊として出陣し、東シナ海で敵の猛攻撃を受け、3,332名の乗組員を乗せたまま沈み、梅林先生も戦死されました。フッ ペルピアノは日本に3台しかありません。佐賀県鳥栖小学校のフッペルピアノにも悲しい戦争との関わりの話があります。それは「月光の夏」と言う映画にもなりました。昭和20年5月末、2人の特攻隊員が飛行機で特攻出撃する前の日に、鳥栖国民学校のフッペルピアノで今生の名残にベートーベンの《月光》の曲を弾き、出撃し戦死しました。またもう1台は鹿児島県の知覧特攻平 和会館に展示してあります。このようにフッペルピアノは、場所こそ違え戦争に纏わる悲しい辛いエピソードを持っています。
日野上小学校のフッペルピアノは、篤志家の寄付によるものでした。寄付されたのは、当時の日野上村矢戸出身で、大阪で産婦人科の病院を経営しておられた、『田中正慶医師』でした。大変高 額なピアノを、 母校の校舎新築記念として、匿名で寄付されたようです。ご子息の「田中欽弥医師」及び霞出身の「西田節子(旧姓七瀬) 助産婦」の証言で確認出来ました。 こんな高価なピアノを寄付された田中正慶先生の、母校を思われる崇高なお気持ちには唯々頭の下がる思いです。田中正慶先生は昭和25年に大阪で亡くなられました。墓地は先生のふるさと日南町矢戸にあります。このフッペルピアノは今年で94歳です。日本に来たこのピアノは、「戦争と平和」の中で多くの子供達と関わり「教育」にあたりました。これからも「日本の平和を考えるピアノ」として、何時迄も働いて欲しいものです。日野上小学校は無くなっても日南町の宝としての存在ですから.....。

日南町霞

三森不二夫

現在は日南町総合文化センターさつきホールホワイエに展示しています。

ご覧になりたい方は事務所までお知らせください。(試奏も出来ます。)

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